黄八丈
黄八丈は、もともと伊豆諸島の八丈島で織られた絹織物です。江戸時代には、幕府の検査と規格化が厳しく行われ「黄」「樺」「黒」の三色を組み合わせた縦縞や格子縞の生産がはじまります。八丈島は、その昔「沖島」と呼ばれていたようですが、本居宣長の随筆「玉勝間」に「八丈という島の名は、かの絹の八丈より出づるらむかし」と記されているように養蚕が盛んで、島特産の「八丈の絹」から名付けられたと考えられています。つまり、一般的に着物の生地は四丈(約12m)で織られますが、黄八丈は八丈(約24m:着物二枚分)として織られていたのです。
当初は、御殿女中や医者、裕福な町民に愛用されていましたが、江戸後期になって下町女性の着物、男性の半天、丹前(綿入れの防寒着)など、粋な着物として庶民にも普及します。昭和後期には、特に若い女性の街着として、着物と羽織のお対のきもの「アンサンブル」が持てはやされました。
黄八丈の特徴は、他の着物には類をみない「鮮やかに輝く黄色の美しさ」にあります。その染料は、島に自生する八丈苅安の葉から採れますが、15~20回も繰り返して染められるため、多くの時間と労力が費やされます。また、マダミの樹皮を煎じて染める樺色(赤味のある茶色)の「鳶八丈」。そして、椎の樹皮から染める黒色の「黒八丈」が伝統的な「八丈絹」と呼ばれています。今では、その他の柄配色で新製品も生産されています。
ここで紹介している商品は八丈島で生産された本場の黄八丈ではありません。手織りで行われる本来の工程を力織機を使い、その技法や色柄を十日町織物として再現したものです。残念ながら現在では「産地偽装」の観点から「黄八丈」の商品名は使えませんが、渋くて地味な江戸好みのセンスの良いデザインもさることながら、さばきの良さとシャキッとした着心地は黄八丈大島とも呼ばれ、本場大島紬に勝るとも劣らぬ逸品として親しまれています。
黄八丈は、お洒落着(街着や普段着)として着用します。通常は、四寸幅の半幅帯、博多織や西陣織の八寸帯、お洒落用の袋帯などを合わせますが、塩瀬などの九寸の染帯を合わせることもできます。