白洲(しらす)正子(まさこ)のきもの


白洲正子(1910-1998)は、戦後の連合国軍占領下、吉田茂の側近として新設された貿易庁の長官を務め、吉田政権崩壊後は、実業家として東北電力の会長を務めるなど多くの企業役員を歴任した「白洲次郎」の妻です。

薩摩藩(さつまはん)伯爵(はくしゃく)樺山家(かばやまけ)に生まれた白洲正子は、88年の生涯を通じて独自の美意識を貫いた随筆家(ずいひつか)。正子にとってきものは、美を語る上で欠かせない対象であり、取材や著作において多くの名言を残しています。

  • 背伸(せの)びをしないこと
  • 自分に似合(にあ)ったものを見出(みいだ)すこと
  • 人に見せるのでなく、自分が楽しめば良い。きものはその為にある。

そのキモノコレクションは、今なお本やデパートなどで紹介され、多くのファンを魅了しています。小千谷縮(おぢやちぢみ)結城紬(ゆうきつむぎ)紅型(びんがた)芭蕉布(ばしょうふ)など、普段着の着物を好み、独自のきもの(かん)を持っていました。

左図は、泥染(どろぞ)めの大島紬に白地に(きら)めきのあるパール(はく)の袋帯を合わせています。普段着や街着のキモノに金銀の帯をするのは、伝統的な着方では(げん)(つつし)むべきコーディネートですが、今では、すっきり(しぶ)く、落ち着いて新鮮な印象を与えます。正子もまた、紬に金銀の帯を人目をはばからず締めたと聞いています。つまり、白洲正子の美意識は100年先を見据(みす)えていたということになります。

昔は、金銀(にしき)の着物や帯が格式高い豪華な儀式に歓迎された反面、紬が正繭(せいまゆ)ではない「くず(まゆ)」から出来るという点から慶事(けいじ)や礼装には不向(ふむ)きと敬遠(けいえん)されたのでしょう。

着こなし入門講座や続・着こなし講座では、着物や帯の色柄から受ける印象を評価しながらコーディネートを実践しています。つまり、印象評価を行う要素である因子(いんし)において、

  • すっきり <-----> ごちゃごちゃ
  • 渋み <---------> 華やか
  • モダン <-------> 古典
など、その強さ、(かたよ)りが調和するように見立(みたて)てを行うわけです。

※印象評価表の具体例は、こちら「Image Simulator」