きものについて書かれた文章を読んでいると、日本語でありながらも時々すっきり区別のできない言葉に出会います。そのひとつが、晴れ着、街着(まちぎ)、普段着、野良着(のらぎ)などと言った言葉です。なんとなく理解しているつもりでも、正確な定義付けは難しいような気もします。
晴れ着と言う言葉からは、誰もが結婚式、成人式、入園入学、入学卒業、お宮参りなどに着る礼装のきものを思い浮かべるでしょう。でも、礼装、すなわち晴れ着というわけでもありません。お葬式(そうしき)に着る喪服(もふく)や法事(ほうじ)に着る色無地などは、晴れ着とは言わないからです。
街着(まちぎ)と言う言葉は、現代ではあまり使われなくなりましたが、それでも、きもの業界に従事する者にとっては、死語となるにはあまりにも惜しい気がします。街着という言葉の響きには、どことなく下町の豊かな風情(ふぜい)を感じます。また、女性たちの明るい社交的な文化の香りもします。街着は、普段着から着替(きが)え、外出するとき着るきものですが、今なら味もそっけもない言葉「外出着」となるのでしょうか。つまり、普段着が、人目を気にせず、家事、食事、くつろぐときなど、日常生活をする上で着るきものであれば、街着は、その生活習慣を離れ、非日常的なお食事、観劇、お買い物、訪問などをする際に着る晴れ着と言うことになるでしょう。だからこそ、おめかしをし、お洒落をし、心ときめく時間を過ごすことが楽しいのではないでしょうか。
街着は、結婚式などに着る振袖、留袖、訪問着ではなく、小紋や紬などのお洒落着が主体となります。ですから、日本の伝統的な儀式に限ってきものを着る人にとっては、街着のきものがないからと言って、困ったり、卑屈(ひくつ)になったりすることはありません。でも、そうであるならなおさら着てみたい、自由にきものでお洒落(しゃれ)がしてみたい、そう言う人にとっては、この上ない趣味・格好の道楽となります。
一方、普段着のきものとなりますと、一般庶民にとっては絹のきものが貴重で、高根の花だったことは容易に推測できます。農民や町民は、麻や綿のきもの、近代ならウール、あるいは、着古した街着を普段に着ていたのでしょう。
でも、街着と普段着の明確な区分があったかどうか、定かではありません。言葉の上では、まったく用途が違うように思われますが、どっちつかずのきものや帯もあったのでしょう。その証拠に、「イイきものですね!」と褒(ほ)めると「いえ、ホンの普段着です。」と謙遜気味(けんそんぎみ)に答えることがあります。この場合、高価なきものが普段着だと言われると、かえって嫌味(いやみ)になりますが、どうやら、生活レベルによっても違っていたようです。そうかといって、間違っても「素敵な普段着ですね」などと言ってはいけません。(街着のつもりで着ている場合もあるので……)
最後の野良着(のらぎ)という言葉は、田畑や野で着る作業着ということになります。洋服が普及するまでは、農作業を行う際には、麻、綿などのきものを着ていたものと思われます。その代表格が綿のきものである久留米絣(くるめがすり)や備後絣(びんごかすり)だったのでしょう。モンペ柄(がら)の絣(かすり)を着て、お食事会や歌舞伎(かぶき)に行く光景は想像することはできません。でも、文人絣(ぶんじんがすり)などの由緒(ゆいしょ)ある久留米絣、薩摩結城(さつまゆうき)、唐桟(とうざん)などは同じく綿織物ですが、その他にも多くの綿のきものが街着として着られていたようです。また、近江上布(おうみじょうふ)、越後上布(えちごじょうふ)、能登上布(のとじょうふ)など、麻とはいうものの高級品の最(さい)たるものもあります。これらは、庶民にとっては普段着とは言えないでしょう。