浮世絵(うきよえ)で有名な葛飾北斎(かつしかほくさい)は、宝暦10年(1760年)江戸本所割下水(えどほんじょわりげすい)(北斎通り:東京都墨田区亀沢1丁目から錦糸公園につきあたるまで)に生まれます。母は、「忠臣蔵(ちゅうしんぐら)」赤穂浪士(あこうろうし)によって討(う)ち果(は)てた吉良家(きらけ)「家老・小林平八郎」の孫娘と自ら述べています。
北斎は、安永7年(1778年)当時美人画や役者絵の第一人者として活躍していた勝川春章(かつかわ しゅんしょう)に入門し、翌安永8年には勝川春朗の号で浮世絵界へデビューします。その後、14年にわたり勝川派に身を置きましたが画名は上がりませんでした。
寛政6年(1794年)、勝川派を去り琳派(りんぱ)の俵屋宗理と襲名し、狩野派、住吉派、西洋画など、あらゆる画風を研鑽(けんさん)します。摺物(すりもの)(木版の印刷物)と狂歌絵本(きょうかえほん)に傾注(けいちゅう)して独特な抒情(じょじょう)的雰囲気を持つ画風を完成させました。画壇(がだん)には確固たる地位が確立し、寛政11年40歳で北斎辰政と号します。
文化11年(1814年)には「北斎漫画(ほくさいまんが)」の刊行が始まります。北斎漫画は、前15編の中に森羅万象(しんらばんしょう)、ありとあらゆる事物が載せられ、絵の百科事典・図案集というべきものです。当時、各方面の職人たちが北斎画を下絵として利用するようになり、欧米でも古くから「北斎スケッチ」の名で親しまれていたようです。このような図案集は絵手本(えてほん)として幾冊かありますが、文政7年(1824年)には小紋のデザイン帳「新形小紋帳(しんがたこもんちょう)」が出版されています。