江戸小紋の名は、1955年に文化財保護委員会が重要無形文化財保持者として小宮康助(1882~1962)を指定するときにつけられた名称です。江戸時代に発達した藍や茶などの地色に白一色で細緻な文様を型染する伝統技法を指し、他の多彩な小紋染と区別されました。
その伝統技法は、江戸時代の寛永年間(10709004~1644)武士の裃(かみしも)の染め柄として急速に発達し、以後、これが裃小紋と呼ばれます。裃は武家の公服で、その柄は家を象徴していました。将軍家をはじめ諸藩では特定の小紋柄を決め留柄(とめがら)と呼び、他への着用を禁じていました。たとえば、徳川家の松葉、紀州家の極鮫、武田家の武田菱、前田家の菊菱、島津家の鮫、鍋島家の胡麻柄など多くの種類があり、これを定小紋(さだめこもん)と呼びました。
江戸小紋を染めるには伊勢型(いせがた)と言う型紙(かたがみ)が使われますが、伊勢の白子、寺家地区で生産されます。柄の微細なものは3cm四方に800~1200粒もの模様が彫られ、武家の間ではその微細さを競い合ったと言われています。遠目には控えめな無地のように見えながら、近づけば型や染めの美しさに驚かされます。その魅力に引かれ江戸中期には男女を問わず庶民の間でも普及しました。特徴は、地色と目色(めいろ)のきりっとした鮮やかなコントラストにあります。他の小紋との違いは、地色と柄色との2色で染め上げることです。
江戸小紋と言えば鮫小紋を連想するほど鮫は有名な柄ですが、その鮫にも三位の鮫、二タリ鮫、カ印の鮫、サ印の鮫、極鮫、丁子鮫など多くの種類があります。代表的な柄には、露芝、桜、千鳥、雀、吹雪などがあります。そして、当時の日用品や用具を文様化した柄には、大根下し金、魚に包丁、ハサミ、扇、宝尽しなどがあります。また、縞柄は江戸小紋の粋の真髄ですが、七宝、麻の葉、亀甲、青海波などは「割物(わりもの)」と呼ばれます。割物とは、一寸角(3cm四方)に柄がいくつ入るか、と言うことから大きさや粒の数を割り出していくことに由来しています。普通のもので数十から数百、きわめて微細なものでは800から1200粒も入るものがあります。江戸小紋の魅力は、そうした単純な点が巧みに連なり千態万様の世界を作り出しているところにあります。
(出典:きものカルチャー研究所中等科テキスト)
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