きものの世界では、本場大島(ほんばおおしま)、本場結城(ほんばゆうき)、そして本塩沢(ほんしおざわ)などと、わざわざ本物の「本」、あるいは、本々(もともと)の「本」を付けて呼ぶことがあります。では、「本」の付かない大島は偽大島(にせおおしま)かというと、そうでもありません。
大島紬は、鹿児島県奄美(あまみ)大島で生産され始めました。その起源については諸説がありますが、沖縄県久米島(くめじま)から久米島絣(くめじまがすり)の技法が伝来されたとする説が有力です。すでに享保(きょうほ)年間(1716~1736)には手括(くく)りの絣紬(かすりつむぎ)が盛んに織られ、薩摩藩(さつまはん)へ上納(じょうのう)されていたと言われています。それが、戦時中鹿児島市に疎開(そかい)した業者によって、1956年ころには色大島(いろおおしま)が開発されます。その後、宮崎県都城(みやこのじょう)市でも生産が開始され、さらに労働賃金の安かった韓国などでも「大島紬」として生産されるようになります。こうなると御本家であるハズの奄美大島の生産者は、喜んでばかりはいられなくなります。そこで、奄美大島ではブランドイメージの確立を目指し、「奄美大島にしかない独特の泥(どろ)」で染めた泥大島(どろおおしま)こそが「本場大島」である、と主張しはじめます。同様なことが結城や塩沢でも起こっています。これが昨今の着物業界の状況です。
さて、袋帯の名前は、表地と裏地が二重組織(にじゅうそしき)で袋状に織られているところに由来(ゆらい)があります。
現代の一般的な袋帯は、表側に絵柄(えがら)があり、裏側は無地で、その二枚の生地を袋状に縫(ぬ)い合(あ)わせてあります。一般的と言ったのは、裏側の裏地にも絵柄があり、リバーシブル(両面)の袋帯もあるからです。いずれにしても、表側の生地と裏側の生地とを別々に織り、あとから縫い合わせて袋状に仮仕立(かりした)てして売られています。
一方、本袋帯(ほんぶくろおび)と呼ばれているものは、表側の生地と裏側の生地とが、一枚の生地で筒状(つつじょう)になっています。つまり、縫い合わせて袋状に仕立てたものではなく、織る時点で袋状に織られています。上の表生地を織ったら、次は下側の裏地を織るというように、回転しながら織るわけです。組織断面図の本袋帯にある地緯(じぬき)糸を左から右にたどっていくと、上にある糸が下に行き、その後、再度上に戻(もど)ってきています。このようにして約4mもの袋帯が織られていますが、実は、断面図にあるように袋状になった内側に文様が出るように織られていきます。織り上がった帯全体を、そっくり裏返して、はじめて全部の文様(もんよう)を見渡すことができます。
本袋帯を織る職人は、織り上がるまで文様が見渡せないので高度な熟練技術が必要とされます。高い技術と長い製作期間で織られた本袋帯ですから、当然のことながら生産数量には限りがあり、高価な商品となります。しかしながら、本袋帯には、大きなメリットもあります。