きものが世界的にも最高水準のファッションであることは、すでに述べました。でも、なぜ美しいのか、これまで明確な定義はなされてないようです。
きものは「呉服(ごふく)」とも呼ばれていますが、中国の呉(ご)の国(222~280年)の服(ふく)と言う意味ではなく、呉の国から伝わった織物との説が有力です。飛鳥(あすか)時代(592~710年)には聖徳太子(しょうとくたいし)が隋(ずい)(581~618年)の服装を取り入れ、平安時代には 宮廷装束(きゅうていしょうぞく)として独自の文化が花開きます。江戸時代には友禅染(ゆうぜんぞめ)が発案され、多色で絢爛豪華(けんらんごうか)な小袖(こそで)が登場し、明治・大正・昭和の近代化の中でも、きものは益々(ますます)洗練(せんれん)され美しくなりました。シルクロードの終着駅であった我が国には、中国をはじめ東南アジアの国々から多くの染織技術が伝わり、その技術が集積し発展してきたのです。
きものの美しさを考えるとき、第一には仏教美術の影響があります。有職文様(ゆうそくもんよう)をはじめとする古典文様。辻ヶ花染(つじがはなぞ)めや加賀友禅(かがゆうぜん)に見られるモチーフには仏教思想が色濃く反映されています。極楽浄土(ごくらくじょうど)に生きるとされる鳳凰(ほうおう)、そこに咲く花・宝相華(ほうそうげ)、また、博多織に常用される独鈷(どっこ)柄は不動明王(ふどうみょうおう)が持つ煩悩(ぼんのう)を打ち砕(くだ)くと言われる仏具(ぶつぐ)を文様化したものです。そこには、単に図案が描かれているということだけではなく、探究心という強いモチベーションがうかがえます。